「松前君」シリーズ大木裕之監督という方

1989年から松前に来て映画を撮り続けています。
それは松前町民の殆どが知らない・・・。

2003年1月 彼にしてみれば毎年のことであるが、私にしてみれば初めての出会い。

実は「高知の女1」の曜子はこのときの大木監督の助監督だった。(詳しくは高知の女1をご覧下さい

お店にお客様として来店いただいたのが、最初だったが、数名いるみんなの覇気がない。
「なんだあ?この人たちは・・・。なんだか元気がないというか、肉食ってないというか・・・。」と思った。
その中でひとりだけ、光り輝いている人がいる(坊主頭だったからだろうか?)。その人が大木さんだった。

その当時は大木監督とわからずに
(この寒いのに、なんてかっこうなんだ・・・。山下清さん??)などと思ったが、
まあ、お客様だし、だまって様子を伺う事にした。

アルコールの注文があったが、少しすると顔を真っ赤にして、早々にお店を出て行った。
(酒弱いのかな???)

あとのみんなはごく普通に飲んでいるが、なんだか覇気がない。

(な、なんだ?アンゴラな人たちで、ずいぶんとアンニュイしてくれている)と思ったものだ。

大木裕之さんは映画監督で、1980年代後半から独自の映像センスで映像を残している。
映画監督というより、映像作家だという。
人と建物は同じかもしれない。その存在自体がすばらしいという。

私たちの映画の観点は、ストーリーがちゃんとしていて、最後に壮大なエンディングを迎えるというものに
対して、大木さんの映画(映像)は、その観点がない。

だから、見終わってもピンとくるものがない。

私は、その観点を取り払い、芸術家(音楽アーティスト)としてその作品を見ることにした。
ほほう。なんとなく共通点が見える。そうそう。そうだったのか?

とは、いってもはっきりと浮かび上がるようなものでもなかったが、映画の一遍を拝見しただけでも
色合いは雪の町にいながら、とてもきれいであった。

「松前君」シリーズ(私はこう言っているのだが)は何作品もあるのに、実際知っている人は少ない。
顧客が東京や外国だからだ。外国で特別賞を受賞している。(下記黒い文字をどうぞ)
「松前君」という男の子はこの世に存在しない存在だ。題名も理解しがたいと思う方もいる。

たとえば、2006年の作品は「松前君の兄弟の神殿の形1’」という題名である。

これは私も出演しているのだが、演技したものを撮影するのではなく、意識せずに実際にしゃべっているシーンを
ドキュメンタリーのように撮影する。

時には、2つの映像を重ね合わせたりして、その心の奥底を表現する。
彼の作品には時々、裸が登場するが、それは芸術上必要なシーンである
知らない人が見ると、ポルノと勘違いする。まあ、芸術とポルノの論争は、今に始まったものではないが、
永遠のテーマでもあるように思う。

2004年には、アパートにスナック「おもひで」というセットを作り、そこで繰り広げられる素の人間の様子を
映像に残している。この作品では、スナックラビットでのカラオケシーンなども織り込まれている。

2005年は、私も映画の役者として参加している。六郎の余興をロケーションしてもらい、その後に
僧侶の役をしている。寒風吹きすさぶ中、読経するシーンは朝5時半気温マイナス5度。
撮影が終わったあとは、拍手で迎えられた嬉しい記憶がある。

そんな大木監督は、いつもは飄々としている。行動範囲が広く、撮影場所には殆ど徒歩でいく。
徒歩の最中歩きながらキャメラを回していることもある。

大木監督は、「松前君」シリーズだけではなく、全国それぞれの土地で作品を作っている。
高知県で作品をつくり、東京で、つくり、あと大学のフォーラムでコメンテーターもこなす。

ただ、監督の感性だけで撮影を決めるのは、誰もできないので、彼は基本的には一人で構想を練る。

この内容については、大木監督に確認してせずに、私から見た大木監督のことを勝手に書いたものである。
大木監督が私のことをどう思っているのか???
私は知り合いであり、友達であると勝手に思い込んでいるのである。

東京大学工学部建築学科卒だそうだ。 私から見ると紙一重なおとなしい方である。
会話は常識人。なにもおかしなことはない。

そんな大木さんは「松前君」となって今年もやってくる。

大木裕之監督作品 「松前君の兄弟の神殿の形 1’」

DVDレーベル「ソルコード」第二弾リリース。
鬼才・大木裕之による、21世紀のインプロヴィゼーション・シネマ

「神殿の形」をめぐるハード・シンキングの記録。それは、北海道・松前町を中心に展開する。立ち上がる映像は、語り、書き、歌い、移動しながら思考する作者の生々しい身体の運動そのものであり、見るものの意識と重なり合うことで、逆説的にフィクショナルな時空を形成していく。「松前君の兄弟の神殿の形+1」を併録。
他2作品と同時発売:「軌跡映画1 Cyclops」、「7×7」第一弾の3作品も絶賛発売中!

―中沢 新一(宗教学者)
たえまなく立ち上がる、くりかえし存在は立ち上がる。映画はその瞬間をとらえるために発明されたメディアだった。たえまなく立ち上がる、その度に存在は一回限りの形をもって、世界にあらわれを果たしては滅していく。比較を絶した美しさとして、無数の神殿として、存在はバナルな日常のただなかから、奇跡のように立ち上がるのだ。大木裕之は映像を思考のための清らかな道として取り戻す。ためらうことなく私は言おう。これは神秘である。

[作者プロフィール]
大木 裕之(おおきひろゆき)
1964年3月23日東京生まれ。高知県在住。東京大学工学部建築学科在学中より映画制作を始める。『遊泳禁止』(1989年)が、IFF1990の審査員特別賞を受賞。ユルゲン・ブリューニンク製作(ドイツ)による『ターチ・トリップ』(1993年)はパリ・ポンピドゥー・センターなどで発表され、現在でも大きな影響を与え続けている。
高知県立美術館製作『HEVEN-6-BOX』(1995年)は第45回ベルリン国際映画祭にて、ネットパック賞を受賞。90年代後半は、サンダンス映画祭、ロッテルダム国際映画祭、山形国際ドキュメンタリー映画祭、バンクーバー国際映画祭等、国内外の映画祭にて上映され、高い評価を得ている。また。近年の表現活動は、ライブ上映、インタレーション、パフォーマンス、ドローイングやペインティング作品などにも拡がりをみせ、「時代の体温展」(世田谷美術館/1999年)、「GAMEOVER展」(ワタリウム/2000年)、「How Latitudes Become Forms:Art In a Global Age」(ウォーカーアートセンター・アメリカ/2003年)、「六本木クロッシング」(森美術館/2004年)などの展覧会に参加し、現代美術のフィールドからも注目されている。